ときどき、心を奪われる品物に出会うことがあります。
何年も前のことですが、雑誌クロワッサンに掲載されていた応量器がそれです。
これがその応量器↓
シルエットの美しさ、軽さ(たぶん)、漆塗りの美しさに一目ぼれしました。
少し前に読書感想を書いた<持たない暮らしと片付けの作法>という雑誌の表紙にも深い緑色の器<応量器>が載っていましたね。
この応量器も素敵ですが、私が心を奪われた応量器は深い赤色と黒の漆塗りの物。
ひとつに重ねられた無駄のない美しさに、シンプルの真髄を見るようです。
欲しいなと思ってから、いったい何年たったでしょうか。
未だに、手が届いていません。
この応量器に見合うよう、身の回りを整理してから。。。と、思いとどまってばかりで未だあこがれ止まりです。苦笑
この応量器だけは、それに見合う人にならないと持ってはいけないような‥そんな崇高さを感じます。
そう感じさせる、オーラのような存在感を持っているモノがあるという事が、素直にすごいなと思います。
50代‥まだまだ遠いな、私。
50代‥いい加減そのくらいになれよ、私!
この応量器の事を思い出すたびに、そんな心の声が聞こえてきそうな、背筋が伸びる思いです。
応量器とは、禅宗の修行僧が使う個人の食器の事だそうで、特に曹洞宗の場合の呼び名だそうです。臨済宗だと違ういい方らしいです。
だから、ここで話している応量器は、正確には応量器のような食器という事になりますね。
ひとつの食器にも色々な名称があるんですね。
シンプルライフのひとつの象徴にもなりそうです。
お茶は飲めそうですが、コーヒーはどうだろう??
ちょっと、厳しいかな?
いやいけるかな。。。